(菅義偉首相の「ぶら下がり」会見。メディアが官邸サイドの機嫌を損ねることを恐れているのも過剰に尊敬語を使う背景だという 【4月21日 AERAdot.】)
【報道の自由度、67位】
世界には北朝鮮・中国のように「報道の自由」など最初からない国も少ないですし、香港やミャンマーのように急速な悪化が懸念されている国もあります。
****警察批判番組制作者に有罪、香港 記者協会「報道の自由への弾圧」****
香港で2019年に抗議デモ参加者が襲撃された事件を巡り警察を批判的に報じた公共放送RTHKのドキュメンタリー番組制作者が、事件関係車両の所有者を割り出そうとナンバー照会をしたことが「道路交通条例」違反に問われた問題で、裁判所は22日、制作者に罰金6千香港ドル(約8万円)の有罪判決を言い渡した。
香港記者協会は、ナンバー照会は通常の取材手法だとして、制作者の摘発は「報道の自由への弾圧だ」と批判している。
有罪判決を受けたのは、フリーの番組プロデューサー、蔡玉玲氏。昨年11月にこの問題で逮捕された後、番組制作から外されている。【4月22日 共同】
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****ミャンマーで邦人記者拘束 軍政批判、自宅近くで連行****
国軍がクーデターで全権を握ったミャンマーで18日夜、同国在住のフリージャーナリスト北角裕樹さん(45)が最大都市ヤンゴンの自宅近くで治安当局に拘束された。地元メディアが報じた。北角さんはクーデターに抗議するデモの取材を続け、SNSで情報を発信し、日本のメディアにも寄稿していた。
国軍は2月1日のクーデター以降、外国人記者を含めジャーナリストを相次いで拘束し、メディアに対する告発や免許剥奪で言論弾圧を強化。インターネットの利用も大幅に制限している。北角さんは元日本経済新聞記者。2月26日にもデモ取材中に拘束されたが、同日中に解放されていた。【4月19日 共同】
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そうした国々に比べて、日本は「報道の自由」が保証されている・・・・というのが、私を含めて一般的日本人の感覚だと思いますが、国際NGO「国境なき記者団」が毎年発表しているランキングでは、日本の報道自由度はあまり芳しい評価ではありません。
****報道の自由度、67位 「菅氏は改善へ何もしていない」****
国際NGO「国境なき記者団」(本部・パリ)は20日、2021年の「報道の自由度ランキング」を発表した。調査対象の180カ国・地域のうち日本は67位(前年66位)だった。
日本の状況について、政権批判をする記者がSNSで攻撃されているなどと指摘。昨年9月に就任した菅義偉首相については、「報道の自由の雰囲気を改善するために何もしていない」と批判した。
クーデターで国軍が権力を握り、批判的なメディアの免許が取り消されているミャンマー(140位)については、治安部隊による大規模な拘束を逃れるため、事実を伝えようとする記者が隠れて働くことを強いられていると指摘した。
1位は昨年と同じノルウェーで、4位までをフィンランドなど北欧諸国が占めた。米国は44位(昨年45位)で、日本は主要7カ国(G7)の中で最下位。中国は昨年と同じ177位だった。【4月20日 朝日】
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この手の指標は、「幸福度」にしても「ジェンダー格差」にしても、複雑な事象が絡み合い、いろんな側面がある現実に対し、あくまでも一定の基準で構成された「指標」ですから、その数値・順位がどこまで全体像を反映しているかは、当然ながら限界はあります。
ただ、その指標による評価が低いということであれば、その原因について検討し、改善の参考にすべきものでしょう。
「国境なき記者団」は例年、記者クラブ制度が「フリーランスや外国人の記者を差別し続けている」ことを指摘していますが、この点は、一般人にはいまひとつピンとこない問題にも思えます。
上記記事があげている、“政権批判をする記者がSNSで攻撃されているなどと指摘。昨年9月に就任した菅義偉首相については、「報道の自由の雰囲気を改善するために何もしていない」”ということに関しては、わかる部分も。
【欧米の先進諸国と同水準だった時期も 福島第一原発事故以後、「発表ジャーナリズム」の問題が顕在化】
日本のランキングは、もとからこんな低かった訳ではなく、以前は欧米の先進諸国、アメリカやイギリス、フランス、ドイツと変わらない中堅層やや上位を保ち、最高順位は11位だったそうです。
それが低下したのは、東日本大震災と福島第一原発事故の発生後の報道事情の変化を受けたもののようです。更に特定秘密保護法の成立が。
下記記事は、そのあたりを解説した2015年の記事です。
*****「報道の自由度」ランキング、日本はなぜ61位に後退したのか?*****
(中略)
日本の評価は?
日本のランキングは2002年から2008年までの間、20位代から50位代まで時代により推移してきたが、民主党政権が誕生した2009年から17位、11位とランキングを上げた。
2008年までの間は欧米の先進諸国、アメリカやイギリス、フランス、ドイツと変わらない中堅層やや上位を保っていたが、民主党政権誕生以降、政権交代の実現という社会的状況の変化や、政府による記者会見の一部オープン化もあり、2010年には最高の11位を獲得している。
しかしながら、2011年の東日本大震災と福島第一原発事故の発生の後、2012年のランキングでは22位に下落、2013年には53位、2014年には59位を記録した。
そして今年2015年にはついに過去最低の61位までランキングを下げる結果となった。自由度を5段階に分けた3段階目の「顕著な問題」レベルに転落した状況である。
なぜ日本の順位は後退したのか?
世界報道自由度ランキングのレポートでは、日本の順位が下がった理由を解説している。ひとつは東日本大震災によって発生した福島第一原発事故に対する報道の問題である。
例えば、福島第一原発事故に関する電力会社や「原子力ムラ」によって形成されたメディア体制の閉鎖性と、記者クラブによるフリーランス記者や外国メディアの排除の構造などが指摘されている。
戦争やテロリズムの問題と同様に、大震災や原発事故などの危機が発生したときにも、その情報源が政府に集中することにより、「発表ジャーナリズム」という問題が発生する。
政府が記者会見で発表した情報をそのまま鵜呑みにして報道する姿勢である。
また、同様に戦場や被災地など危険な地域に自社の記者を派遣しないで、フリー・ジャーナリストに依存する「コンプライアンス・ジャーナリズム」の問題も重要である。メディアとしての企業コンプライアンスによって、危険な地域に自社の社員を派遣できないという状況から、危険な地域に入るのはフリー・ジャーナリストばかりになるという構造的問題である。
このような日本のメディアの状況下で一昨年に成立した特定秘密保護法の成立が日本の順位下落に拍車をかけた形である。
特定秘密保護法の成立により、戦争やテロリズムに関する特定秘密の存在が自由な報道の妨げになるという評価である。
日本が置かれる国際状況や、日本国内の政治状況が大きく変化している現在こそ、日本のメディア、ジャーナリズムに自浄作用と改革が求められている。【2015年7月15日 日本大学大学院新聞学研究科】
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【政府や総理の機嫌を損ねることを極端に恐れているメディア】
政府が記者会見で発表した情報をそのまま鵜呑みにして報道する姿勢「発表ジャーナリズム」が生んでいる、政権とジャーナリズムが癒着し、ジャーナリズムが政権におもねる空気感を示すものが、下記記事が指摘するような日本的雰囲気でしょう。
****「総理がおっしゃる」テレビの過剰な尊敬語に違和感 メディアと「対等」なのになぜ?****
テレビの報道番組や情報番組では政府や総理大臣に尊敬語がよく使われる。背景にはメディア側の萎縮のほかに、ツイッターなどSNSの影響もある。AERA 2021年4月26日号で掲載された記事を紹介。
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「『総理がおっしゃっている』って、平気でテレビで言うようになったのはなぜだろう」
今年1月、ツイッターにこう投稿したのはテレビユー福島の記者、木田修作さん(35)だ。このところ、テレビの報道番組や情報番組でキャスターや司会者、コメンテーターなどの出演者が政府や総理大臣に言及する際、「尊敬語」を使うことが常態化していることに大きな違和感があるという。
確かに多い。たとえば、「総理がご判断されるのでは」「大臣はこうお考えになっておられる」などの言い回しがテレビからよく聞こえてくる。これは以前にはなかったことだ。木田さんは言う。
「私たちメディアの大事な仕事は『権力の監視』です。政治家に過剰に尊敬語を使う必要はなく、『総理が話していました』で十分なはずです」
これはメディア側の問題にとどまらず、視聴者である私たちにも無関係ではないと、木田さんは懸念する。
「総理大臣や政府を尊敬の対象にしてしまうと、政治や政策に対する意識、声を上げる姿勢にも当然、影響があります。コロナ禍で特別定額給付金について番組で言及する際の『給付金をもらう』も同じ意味で気になります。税金が財源ですから、『もらう』ではなく『受け取る』が正しいはず。私たちの意識への負の影響という点で、過剰な尊敬語と根っこはつながっていると思いますね」
メディアの尊敬語に同様の違和感を持つのは、戦史研究家の山崎雅弘さん(54)だ。
「総理と『対等だ』という認識がメディアにないと、そもそも権力監視なんてできません。怖いのは、私たちの側も尊敬語に慣れてしまい、『国民は政府や総理よりも下なんだ』と刷り込まれてしまうことです」
■戦う前から負けている
権力の監視どころか、メディアが戦う前から負けている──。そんな状況は2012年12月に始まった第2次安倍政権からだと、山崎さんは考えている。
14年6月、NHKのニュースでキャスターが「政府がおっしゃいましたけど」と話すのを聞き、「40数年この国で生きてきて、政府に敬語を使うニュースキャスターを初めて見た」とツイッターに投稿している。
「驚きました。感じるのは、政府や総理の機嫌を損ねることをメディアが極端に恐れているということです。メディアは第2次安倍政権以降、『権力と対等』でなく、『殿様と下僕』のような主従関係に安住するようになりました。官邸側に完全に仕切られてしまっている現在の総理会見もその象徴です」
これに加え、山崎さんが「気持ち悪い」と話すのが、「させていただく」という言葉の氾濫(はんらん)だ。本来そこまで言う必要はないのに、「上の人の機嫌を損ねてはいけない」「自分が謙虚であることをアピールしないと」という「萎縮の心理」が社会全体に広がっていると、山崎さんは見る。
「そんな萎縮の状況と、政府に尊敬語を使うことは根っこがつながっています。加えて、『権力を監視するための批判は、与党への攻撃だ』という勘違いをする人が増え、本来の仕事を果たすメディアに対し、『偉そうだ』などと筋違いの批判をしてしまう。メディアの萎縮には、国民の側にも責任の一端があるんです」
■怖いSNS上での批判
それはツイッターなどSNSの影響も大きいのではと考えているのが、政治記者として30年以上の経験があり、テレビの報道番組などでコメンテーターとしての出演も多い毎日新聞専門編集委員の与良正男さん(63)だ。自身はテレビでコメントする際、政府や総理に尊敬語は使わず、かつ必ず「菅さん」と呼ぶ。
「私もたまにエゴサーチ(インターネット上で自分の名前を検索)すると、『なんで与良は一国の総理にさん付けなんだ。何様だと思ってる!』と。そういう声はテレビ局にも山ほど来るんです。それをアナウンサーやコメンテーターがすごく気にする結果、『尊敬語を使って、リスペクトしているふりをしておいたほうが無難だ』となる。そんな意識は間違いなくあると感じています」(後略)(編集部・小長光哲郎)※AERA 2021年4月26日号より抜粋【4月21日 AERAdot.】
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【実像を伝えていない政治メディア】
“政府や総理の機嫌を損ねることをメディアが極端に恐れている”“、『権力と対等』でなく、『殿様と下僕』のような主従関係に安住する”という政権とメディアの関係は、“政治メディアは実像を伝えていない”ことにも。
“政治メディアは実像を伝えていない”ということ自体、ものごとには公にできないこと、されないこともあるというのは昔からあることでしょうが、メディアが萎縮・忖度する状況で、その弊害が増幅されているようにも。
****『菅義偉とメディア』著者は元菅長官番の現役記者 永田町で感じた違和感、赤裸々に****
元新聞記者で、いま大学でジャーナリズムとアフリカ研究を教える筆者による新連載。第1回は記者会見での突っ込みが足りないなどと批判が絶えない政治取材の現場について、楽屋裏を明かす本を著した現役記者に直撃インタビューしました。
菅政権の発足から3カ月後の2020年12月、日本政治に関する1冊の本が出版された。『菅義偉とメディア』(毎日新聞出版)。筆者は毎日新聞の秋山信一記者。
2017年4月から3年半にわたって政治部に在籍し、このうち2019年10月からの1年間は、安倍政権の官房長官だった菅氏に「番記者」として張り付いた。
(中略)私はこのほど秋山氏にインタビューし、出版の背景や日本の政治メディアについての考えを聞いた。秋山氏の言葉から見えてきたのは、現場で取材している記者の「個」が欠落した日本の政治報道の病弊である。(中略)
■政治部を「取材」した
白戸 取材対象の政治家との癒着、番記者の横並び体質、生ぬるい批判精神――。近年、国政を取材する日本の政治メディアに対し、そうした批判が数多く寄せられています。しかし、批判の多くは政治部の外の世界から寄せられているものであり、政治部の記者、しかも官房長官番のような政治部の中心に位置する記者自身の肉声が実名で公にされることはまれです。なぜ、このような本を書こうと思ったのですか。
秋山 エジプトから帰国し、政治部に配属された初日から、政治部の仕事の仕方に強い違和感を抱きました。記者になって14年目にして初めて政治部に配属されたのですが、それまでの地方支局、社会部、海外特派員の仕事では感じたことのないストレスでしたね。
それで、以前政治部に在籍したことのある記者たちに「政治部っておかしくないですか」などと愚痴を言っていたのですが、実は多くの元政治部記者が、私と同じような違和感を政治メディアに抱いていたことを知りました。
そこで、希望して政治部に配属されたわけでもなかったので、政治家を取材するだけではなく、政治記者そのものを観察対象にすることにしたのです。政治部は観察対象としては大変興味深い組織でした。
白戸 どのような違和感、ストレスでしたか?
秋山 一番の問題は、取材をした現場の記者が自分の言葉で記事を書けないことです。社会部での事件取材でも海外特派員の仕事でも、自分で歩き、人に話を聞き、自分で考えて記事を書いてきました。
ところが、政治部では、記者として当たり前だと思っていた、そういうことが全くできなかった。現場の若い記者は取材して膨大な情報を持っているにもかかわらず、それを積極的に書かないし、また、上の人間は彼らに書かせようともしない。
記者は膨大な情報を集めているのですが、いざ記事を書いてアウトプットしようとすると、とにかく政治部内にハードルが多過ぎて、結局、読者の目に触れる段階では、ありきたりの内容で構成された定型的な記事になってしまうのです。
政治部の記者たちは、どのタイミングでどのような記事を書くかということまでも自分たちで決めてしまっており、その結果、自縄自縛に陥り、取材した政治家や政界の出来事の実像を世の中に十分に伝えきれていないと思いました。
■取材したことを伝えていない?
白戸 政治メディアは実像を伝えていない、ということですか。
秋山 政治部の世界では、若手記者が永田町の現場で政治家を取材していますが、彼らは原稿を書くのではなく、政治家の言ったことをメモにしてキャップやデスクといった上司に報告し、キャップやデスクは、そのメモを基に作文します。
キャップやデスクといったベテラン記者は、記事の中で使う語句や言い回し、記事の書き方のパターンを知っているので、メモの中から言葉を選んで定型的な文章を作文し、それが読者の目に触れているわけです。(中略)
秋山 政治部の取材では、キャップやデスクが、現場の若い記者から上がってきたメモに基づき、定型的な作文を書くようなことを続けているので、記者が現場で感じたことや生々しい体験が、記事になった段階では全く反映されなくなることが日常化しているのです。
現場の記者が取材を通じて「これを書きたい」「これは書かなければならない」との思いを抱き、その思いに基づいて記事を書かなければ、現場で起きている本当のことは読者に伝わりません。(中略)
■集めた情報、もっと国民に発信を
白戸 政治メディアはこれからどうしたらよいと思いますか。
秋山 いま、政治部記者の記者会見での質問の仕方が生ぬるい、などという批判があります。追及の甘さは問題ですが、きつい口調で政治家を問い詰めていけば真実が出てくるのかというと、そんな単純な話ではない。問題は、先ほどお話しした通り、情報をアウトプットしていくプロセスにあると思います。ジャーナリズムは取材して情報を積み上げて、それを伝えていくということの繰り返しですが、政治部は国民に向けて、あまりにも情報を出していません。記者はそもそも報道するために情報を集めているはずです。
永田町という狭い空間に、これほど大勢の記者が密着している日本メディアの政治部のような組織は、世界にも例がないように思います。政治部記者たちは実に様々な情報を持っており、面白いことをたくさん知っています。もっと取材した現場の人間に原稿を書かせないとだめだと思います。現場で取材している若手記者の裁量を増やすとともに、若手記者が取材したことを上手に表現できる力量を向上させることも大事だと思います。【4月22日 白戸圭一氏 GLOBE+】
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