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イスラエル  エルサレム「神殿の丘」をめぐって再び緊張が高まる 強硬姿勢のネタニヤフ政権

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(【9月15日 AFP】)

【再び「神殿の丘」で衝突】
1967年の第三次中東戦争でイスラエルが東西ともに占領したエルサレムは、ユダヤ教にとっても、イスラム教にとっても宗教的に重要な「聖地」であることから、イスラエルがエルサレムを「不可分の永遠の首都」であるとするのに対し、東エルサレムの領有を主張するパレスチナ自治政府も将来のパレスチナ国家の首都とする形で双方が「首都」であることを譲らず、常にパレスチナ問題の中心に位置する問題です。

旧市街を含む「東エルサレム」に関して、1980年に国連総会はイスラエルによる占領を非難し、エルサレムを首都とするイスラエルの決定の無効を143対1(反対はイスラエルのみ、棄権は米国など4)で決議しています。

そういう「敏感な」な地域であるエルサレムを巡っては、昨年10月、11月にもイスラエル政府とパレスチナ住民との間の緊張が高まりました。

2014年11月7日ブログ「イスラエル 東エルサレムでパレスチナ住民と治安部隊の衝突 高まる緊張」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20141107
2014年11月20日ブログ「イスラエル シナゴーグ襲撃、犯人自宅破壊命令・・・・緊張は危機的状況に」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20141120

ここにきて、再び緊張が高まる事態が起きています。

****エルサレム聖地のモスクで衝突、ユダヤ新年前に緊張高まる****
中東エルサレムのアルアクサ(モスクで、ユダヤ歴の新年を数時間後に控えた13日朝、イスラム教徒とイスラエル警察が衝突した。

イスラム教で3番目に重要な聖地である同モスクがある「神殿の丘」は、ユダヤ教の聖地でもあることから、参拝をめぐり両教徒間の衝突が絶えない。

先週には、モシェ・ヤアロン国防相が神殿の丘に参拝するユダヤ教徒らと衝突したイスラム教徒の2グループを非合法団体に指定し、緊張が高まっていた。

イスラム教徒の目撃者は、モスクにイスラエル警察が侵入し内部を破壊したと話しているが、警察側はイスラム教徒らが石や花火などを投げるなどの暴力行為を始めたためモスクの扉を閉鎖しただけだと説明している。

警察は声明で、13日夜に始まるユダヤ教の新年祝賀行事に先立ち「暴徒」らが前夜からモスク内にバリケードを築いて立てこもり、ユダヤ人の参拝妨害を試みたと主張。

参拝の妨害を防ぐために同日午前6時45分(日本時間午後0時45分)に敷地内に入ったところ、モスク内の人々から攻撃を受けたとしている。

一方、イスラム教徒の目撃者の一人は、警官らがモスクの扉を閉めるためには不必要なまで奥に立ち入り室内を損傷させたと主張。礼拝用のじゅうたんが一部焼けたり、窓が割れたりしたと訴えた。

パレスチナ自治政府のマハムード・アッバス議長はイスラエル警察によるモスクへの「攻撃」を非難する声明を出している。【9月14日 AFP】
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衝突の経緯については以下ののようにも報じられています。

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イスラエル警察によると、覆面の集団が聖地内の礼拝所に立てこもり、バリケードで封鎖しているとの情報が入ったため、警察が出動した。「暴徒」が警官らに石や火薬を投げ付け、衝突は旧市街の路上にも広がって数時間続いたという。

一方、パレスチナのマアン通信は、夜明けの礼拝が終わった直後にイスラエル側の部隊が礼拝所に突入し、ゴム弾や閃光(せんこう)弾を発射したため、信者ら数人が負傷したと伝えている。【9月14日 CNN】
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衝突はユダヤ暦の新年にあたる14日も続きました。

****エルサレム聖地のモスクで連日の衝突、国連・米は自制要請****
中東エルサレムにあるイスラム寺院「アルアクサ・モスク」では14日、ユダヤ暦の新年をユダヤ人らが祝う中、聖地を守ろうとするイスラム教徒とイスラエル警察が前日に続き衝突した。

国連(UN)と米国は衝突を強く批判し、自制を呼び掛けた。

アルアクサ・モスクが建つ丘は、イスラム教で「ハラム・シャリーフ」、ユダヤ教で「神殿の丘」と呼ばれ、両教徒にとって聖地となっている。

警察によると、イスラエルの治安部隊は13日と同様、聖地で新年を祝うユダヤ人に対するイスラム教徒の若者らの嫌がらせを防ぐため、早朝にモスク内に入ったという。

その際、衝突が発生。イスラム教徒がバリケードを作ってモスク内に立てこもる一方、外では聖地への立ち入りをめぐって抗議行動が起きた。

警察は声明で、覆面の若者たちがモスク内に逃げ込み、投石してきたと発表。モスク内でデモ参加者5人を逮捕し、ユダヤ教徒の聖地訪問は予定通り行われたと述べた。

エルサレム旧市街の路上でも治安部隊とデモ隊の衝突が起き、4人が逮捕された。

警察は群衆を押し返す際、威嚇用手投げ弾を使用。デモ隊やAFP記者を含むジャーナリストらに対し殴る、けるなどした。

イスラム教徒らは、イスラエル政府が聖地の管理方法を変えようとしているのではないかと危惧している。極右ユダヤ教組織は「神殿の丘」へのアクセス拡大を強く主張し、新しい神殿を建設しようとの動きもある。

ベンヤミン・ネタニヤフ首相は現状維持の方針を示しているが、パレスチナ人らは懐疑的な見方を崩していない。

パレスチナ解放機構(PLO)は14日、高官を通じて発表した声明で、「イスラエルが意図的に不安定な状況を作り出し、暴力をエスカレートさせているのは明らかだ。それによって治安部隊の権限と統制を徐々に増やし、ハラム・シャリーフを完全に併合・変質させようとしている」と非難した。【9月15日 AFP】
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【極めて「敏感な」場所である「神殿の丘」】
問題が起きている「神殿の丘」は、ユダヤ教・イスラム教双方が聖地とする「敏感な」エルサレムにあっても、ユダヤ教徒のとって重要な「嘆きの壁」、イスラム教徒にとって重要な「アルアクサ・モスク」と「岩のドーム」を含む、とりわけ「敏感な」場所です。

****神殿の丘****
この場所には紀元前10世紀頃、ソロモン王によりエルサレム神殿(第1神殿)が建てられた。しかし、紀元前587年、バビロニアにより神殿は破壊される。その後、紀元前515年に第二神殿が再建されるが、西暦70年に今度はローマにより再び神殿は破壊される。また、このときの城壁の一部が「嘆きの壁」である。

ヨルダン支配下の東エルサレム(1948年~1967年)では、イスラエル人は旧市街への立ち入りを禁じられていた。現在、神殿の丘はイスラエルの領土内にあるが、管理はイスラム教指導者により行なわれている。
そのため、ユダヤ人とキリスト教徒は神殿の丘で宗教的な儀式を行う事を禁止されている。

2000年9月28日、右派リクードのシャロン党首が神殿の丘を訪問し、これに反発したパレスチナ市民によりセカンド・インティファーダが引き起こる。
この暴力の応酬により2000年7月25日交わされたキャンプ・デービッド合意は事実上、破綻している。【ウィキペディア】
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上記説明では神殿の丘の管理は“イスラム教指導者により行なわれている”とありますが、1994年、ヨルダンとイスラエルが締結した平和条約では、エルサレムの恒久的地位が決定した後も、神殿の丘を支配するヨルダンの役割を尊重することが盛り込まれていますので、管理者はヨルダンということではないでしょうか。

ただ、パレスチナ自治政府設立にともなって、ヨルダンは次第に管理から手を引き、現在はパレスチナ人・イスラム教指導者が管理する形になっているようです。

この「神殿の丘」については、上記ウィキペディアにあるように“ユダヤ人とキリスト教徒は神殿の丘で宗教的な儀式を行う事を禁止されている”と説明されていますが、このあたりが現地事情を知らない人間にはよくわかりません。

少なくとも観光客は、特定の入り口から時間を限って入ることができますが、モスクへの立ち入りはできないようです。

ユダヤ教徒については、“ユダヤ人が入る際には数名の警備員が付き添い、祈りの言葉を口にしないか目を光らせるようである。”【HTTP://www.ijournal.org/IsraelTimes/mepeace/temple.htm】ともありますので、入ることはできるが、宗教的な行為はできないということでしょうか?

一方で、今回衝突の原因ともなった“13日夜に始まるユダヤ教の新年祝賀行事”としてのユダヤ教徒の聖地訪問はどういう扱いなのでしょうか?“新年祝賀行事”として特例扱いなのでしょうか?

今回衝突に関して、イスラエルのネタニヤフ首相は、「聖地で礼拝する自由を確保するために不法行為を取り締まることは我々の義務であり、権利でもある」【9月14日 CNN】と発言しています。
“聖地で礼拝する自由”・・・・イスラエル政府としては、“ユダヤ人とキリスト教徒は神殿の丘で宗教的な儀式を行う事を禁止されている”という現状を容認していないということでしょうか?

昨年10月の緊張時には「神殿の丘」は完全閉鎖となったように、その時々で扱いが異なるのでしょうか?

どうもよくわかりません。
よくわかりませんが、極めて「敏感な」場所であることは間違いありません。

どのくらい「敏感」かと言えば、“神殿の丘では、政治・治安問題だけでなく、考古学者が、発掘中に石を少し動かしただけでも、”Status Quo(現状維持)"を変えることになり、暴動になる。”【2014年11月1日 石堂ゆみ氏 「オリーブ山便り」】とのことです。

【政権内で高まる極右の影響】
当然、極右ユダヤ教組織の新しい神殿(第3神殿)を建設しようとの動きが現実のものとなれば、血の雨が降ることは間違いありません。

第3神殿については、2年以上前の記事ですが、以下のようなものも。

****「神殿の丘」に第3神殿を イスラエル閣僚****
エルサレムの「神殿の丘」に第3神殿を建設しよう、とイスラエル政府のウリ・アリエル住宅建設相が7月4日声を上げた。

「神殿の丘」には紀元前10世紀頃、ソロモン王により第1神殿が建てられたが、紀元前587年、バビロニアにより破壊された。紀元前515年に建設された第2神殿は、紀元70年にローマ帝国により再び破壊された。城壁の一部が残され「嘆きの壁」と呼ばれている。

現在、『神殿の丘』はイスラエル領だが、『アル=アクサー・モスク』や『岩のドーム』などイスラム教の聖地でもあり、管理はイスラム教指導者が行っている。

ユダヤ人とキリスト者は神殿の丘で宗教的な儀式を行う事を禁止されている。2000年9月、右派リクードのシャロン党首が神殿の丘を訪問したが、これに反発したパレスチナ市民による暴動が起こり、直前に成立していたキャンプ・デービット合意が事実上、破綻した。

ユダヤ人にとって神殿再建は最大関心事の一つだが、イスラム教との関係緊張が必至なだけに、これまで政府高官も発言を控えてきた。

アリエル住宅建設相が極右政党「ユダヤの家」に所属しており、パレスチナ自治区への入植に熱心で自らも入植者であるだけに、そのアリエル氏が神殿再建を呼び掛けたことで、中東情勢を一挙に悪化することにもつながりかねない。

昨年には「ユダヤの家」のゼブルン・オレブ議員も神殿再建を呼び掛けたが、その際にも岩の洞窟とアルアグサ・モスクの撤去が世界戦争を引き起こすことは確実、と語っている。

「神殿の丘」関係団体がイスラエルのユダヤ人を対象に共同で行った調査では、神殿再建賛成が30%、反対45%、わからないが25%だった。【2013年7月17日 CHRISTIAN TODAY】
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イスラム教徒との関係を破綻させるこうした主張を行う人物が住宅建設相を務めていた訳ですから、イスラエルの入植政策が変化しないのも当然です。

現在のネタニヤフ政権については、“政権を担っているのは、ベンヤミン・ネタニヤフ首相が党首を務める第1党の右派政党「リクード」、極右政党「ユダヤの家」、中道右派「クラヌ」、宗教政党「シャス」および「ユダヤ教連合」の5つの政党です。政権内では極右の「ユダヤの家」の影響力が強まっており、イスラエルはイランやパレスチナに対して、非常に強硬な外交姿勢をとり続けています。”【8月21日 東洋経済online】とのことです。

また、“国会120議席のうち、連立与党は61議席であり、辛うじて過半数を維持しているにすぎません。しかもイスラエル国内は不景気で、高い失業率や不動産価格の高騰などにより国民の不満が高まり、政権の支持率は不安定な状態にあります。”【同上】とのことで、もともと右派のネタニヤフ首相ですが、パレスチナ問題で強硬な姿勢をとることで右派保守層の支持をとりつけようという誘因が働きます。(そうした戦術で、先の総選挙も乗り切ったところですが)

****「投石」には「銃」で対抗?──イスラエルの汚い戦争****
イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は、エルサレムとその周辺で頻発するパレスチナ人による「投石と火炎瓶攻撃」に対する「戦争」について協議するため、火曜夜にも緊急会議を召集する。治安当局者が中心に集まって、パレスチナ人「投石者」への対抗策を話し合う。

緊急会議のきっかけは、エルサレムのアルノナ地区で13日の日曜深夜に、投石が原因とみられる交通事故でイスラエル人の死者が出たこと。容疑者は、東エルサレムに住むパレスチナ人と見られている。

現地からの報道によると、東エルサレム(エルサレム内のパレスチナ人居住区)では、イスラエル人とパレスチナ人の緊張が高まっている。

裁判抜きの行政拘禁も検討
「ネタニヤフ首相は、石や火炎瓶をイスラエル市民に投げつける行為を極めて重く受け止めており、刑罰と法執行の強化など、あらゆる策を講じてこの事態に立ち向かうつもりだ」と、あるイスラエル政府関係者は本誌に語った。

ネタニヤフは今月に入り、パレスチナ人投石者と対峙するイスラエル治安部隊に発砲を許可することも視野に入れ、対抗手段の修正を検討すると発表していた。

先週末には、投石者に対する処罰が手ぬるい裁判官を昇進させない、という対抗策の提案を一蹴。投石者はそもそも裁判に値せず、「行政拘禁」で対処すべきだと語った。行政拘禁とは、起訴や裁判の手続きを踏まずに容疑者を拘束できる法的措置で、イスラエル国内でも論争の的になっている。

イスラエル議会は今年7月、投石者を禁固20年の刑に処すことができる法案を可決している。イスラエルの刑務所で拘束されているパレスチナ人を支援する「パレスチナ囚人協会」のカドゥラ・ファレス代表は、この法律を「人種差別的で憎むべきものだ」と非難した。

投石は以前から、イスラエル当局との武力衝突においてパレスチナ人が頻繁に用いる攻撃手段。1980年代後半の第1次インティファーダ(パレスチナ人の抵抗運動)では、投石は、イスラエルのヨルダン川西岸占領に抵抗するパレスチナ人を象徴する武器になった。【9月15日 Newsweek】
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「投石」と言っても、当たれば大けが、もしくは死にいたることもあるような大きな石が飛び交うこともあるようですから、上記のようなネタニヤフ政権の対応にもなります。

ただ、パレスチナ人の子供たちが逮捕された最も多い理由は投石で、拘束されている多くの子供たちが脅迫と身体的暴力で自白を強要されるという、「残虐、非人間的、卑劣な扱いや懲罰」が行われているのとのユニセフの報告もあります。

今後、こうした状況が更に悪化することも懸念されます。

パレスチナ住民からすれば、投石は圧倒的な武力のイスラエル治安当局への唯一の抵抗手段でもあります。
ネタニヤフ首相の強硬姿勢は、パレスチナ住民の憎悪を掻き立て、問題の解決を難しくするだけのように思えます。

パレスチナ人を追い払ってイスラエルを建国した歴史からして、両者が心から和解するのは無理でしょう。
そうしたなかで、イスラエルが今後とも存続するためには、力で押さえつけることではなく、共存が可能な道を政治的に探すことではないでしょうか。

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