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Channel: 孤帆の遠影碧空に尽き
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スーダン バシル失脚後の今も続く軍と市民の緊張 抗議行動の前面に立つ女性たち

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(スーダンの首都ハルツームでのデモで音頭をとるアラ・サッラー。2019年4月8日【4月18日 クーリエ・ジャポン】)

 

【今も続く軍と市民の緊張】

アフリカ・スーダンでは、約4カ月間の市民の大規模反政府デモの結果、30年に及ぶ独裁支配を続けたバシル大統領(75)が4月11日、軍部のクーデターによって失脚しました。

 

しかし、実権を掌握した軍が2年間の移行政権を運営するとの宣言に市民は拒否反応を示し、暫定軍事評議会のイブンオウフ議長はわずか1日で辞任。

 

4月27日には、反政府デモの指導部と暫定軍事評議会は、民間人と軍人から成る合同の統治評議会の設置に合意しました。統治評議会は独立した統治組織となり、ゆくゆくは暫定的な文民政権に移行するものとされています。

 

しかし、新設される統治評議会の軍・民間人の構成などをめぐって今も軍と市民の間で緊張が続いています。

 

****スーダン反政府デモ「100万人行進」呼び掛け 軍事評議会との緊張高まる****

スーダンで4月30日、オマル・ハッサン・アハメド・バシル前大統領の失脚から3週間近くたった現在も暫定軍事評議会が民政移管に真剣に取り組んでいないとして、反政府デモ側が大規模な抗議集会を呼び掛けた。

 

反政府デモの指導部と暫定軍事評議会は4月27日、民間人と軍人から成る合同の統治評議会の新設で合意したものの、その構成をめぐり意見が対立。軍事評議会側が新評議会の定員を軍人7人と民間人3人の計10人と提案したことで、両者の溝が深まった。

 

さらにあるスーダン軍司令官は、暫定軍事評議会の議長を現在務めているアブデル・ファタハ・ブルハン・アブドルラフマン大将がそのまま新評議会の議長に就くとも発表している。

 

こうした動きに反発し、反政府デモ側は首都ハルツームの軍本部前に築いているバリケードを強化。デモを主導する民主化勢力「自由・変革同盟」は、「民政というわれわれの主要な要求を主張するため、5月2日に100万人のデモ行進を行う」と宣言した。

 

同じくデモを主導するスーダン専門職組合の指導者であるモハメド・ナジ・アッサム氏は、「暫定軍事評議会は民政移管に真剣ではない」と批判した。

 

反政府デモ側は新評議会の定員を15人とし、うち軍人を7人にとどめ、民間人が過半数を占める構成にするよう求めている。

 

両者の溝が深まっていることに加え、軍事評議会は4月29日、デモ隊との衝突で全土で計6人の治安要員が死亡したと発表。また、市場での火事や強奪も起きているという。

 

一方でデモ側の指導者らは軍事評議会に対し、ハルツームの座り込み現場以外で起きた出来事はデモ隊によるものではないと伝えたという。

 

抗議側の一団によると軍は4月29日夜、軍本部前のバリケードを撤去して座り込みを解散させようとしたという。

 

AFP特派員によると、4月30日にはハルツーム中心部に機関銃を装備した軍車両数台が配備された。 【5月1日 AFP】

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【市民によってコントロールされている反政府行動】

アフリカにおける政変というと、政党間の争いというよりは民族・部族を背景とした争いであることが多かったり、また、「アラブの春」が多くの中東イスラム国家で“失敗”と混乱に終わっていることもあって、スーダンのバシル大統領失脚・軍と反政府デモの対立という政変についても、個人的にはいささか先行きを懸念するような感じで見ていました。

 

しかし、今後の展開は不透明ながら、現段階における反政府デモは上記のようなイメージとは異なり、市民の手でコントロールされる形で行われているようです。

 

****検問も警備員もボランティア 民主化求めるスーダンの抗議デモの現場は****

30年にわたって長期支配を続けてきたバシル大統領が失脚したアフリカ北東部のスーダン。民衆による抗議デモが「独裁者」を追い詰め、最後は軍がクーデターを起こした。

 

だが、バシル氏が政権から去った後も、民衆は自由や民主化を求めて軍に対する抗議デモを続けている。現場の様子やデモを続ける国民の思いを取材した。

 

記者が首都ハルツームに入ったのは4月24日。現地の情報省から記者証を取得し、連日抗議デモが続く軍本部前に向かうと、3カ所の検問所があった。運営していたのは、抗議デモの参加者たち。武器などを持った不審者が入らないように、自分たちで警戒しているのだという。

 

現場では、太鼓をたたいたり、国旗を顔にペイントしたりした多くの若者たちが集まっていた。最高気温は42度。強烈な日差しを避けようとテントや給水所も設置され、露天商も繰り出していた。

 

気温が少しだけ下がる夕暮れ時になると、仕事を終えた人たちも加わり、数万人でごった返した。時折、デモ隊と治安部隊との衝突で負傷者は出ていたものの、幼い子どもを連れて来る人もいるなど、平和的な抗議デモが続いているように見えた。

 

特設のステージでは、デモを主催する団体のメンバーらが演説していたが、それを警備するのも民衆によるボランティア。大学職員のアブドゥラ・アルムールさん(30)は「何か役に立ちたいと思って参加した。民主的な政権ができるまで続けたい」と語った。(中略)

 

今回の抗議デモが始まったのは昨年12月。きっかけは、物価上昇やパンの価格が値上げされたことだった。現金が不足し、銀行の引き出し額は1日5千円程度に制限されるようになり、ガソリンスタンドでは給油不足から長蛇の列ができた。

 

デモは瞬く間に全国に広がり、経済低迷を招いたバシル氏の辞任や民主化を求める声が強まった。

 

4月11日、政権を長年支えてきた軍がクーデターを起こし、バシル氏を解任。事実上の軍事政権を立ち上げた。だが、国民は、バシル氏との関係が近かった軍幹部が権力の座に就くことに反発。抗議デモを続けた。

 

軍本部前では、大学生やヒジャブで頭を覆った若い女性の姿も目立った。抗議デモが始まった頃、バシル政権は現場近くのハルツーム大学を閉鎖したが、学生たちが大挙して抗議デモに参加する結果を招いた。

 

毎日のようにデモに参加しているというイスラ・ゼイダンさん(21)は「男性に比べて、女性は服装や就職、留学するのにも自由がなかった。将来世代のためにも、ここに来ている」と教えてくれた。

 

スーダン出身で、現在は学習院大学特別客員教授を務めるモハメド・アブディン氏は「他国に出稼ぎに行きやすい男性と違って、女性は国内にとどまることが多い。母国をより良くしたいという思いが強いのだろう」と説明する。

 

現地では、イスラム教徒が日の出から日没まで飲食を断つラマダン(断食月)に入り、昼間は抗議デモの参加者が減少。夜に活動が活発化しているという。

 

スーダン軍は、デモを主催する団体や野党関係者らと暫定政権の発足に向けて協議を続けている。だが、軍側を支援するサウジアラビアなどの隣国の思惑もあり、国民が求める民主化がかなうかどうかは、不透明なままだ。【5月10日 GLOBE+】

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【飛び火を警戒する周辺国】

サウジアラビア・エジプトなど周辺国は、反政府デモの拡大・自国への飛び火を警戒しており、軍主導による「安定」を支援しています。

 

****周辺国はデモ拡大を懸念****

アラブ諸国や周辺国には、反政府デモの飛び火などを懸念し、スーダン軍を支援する動きも出ている。

 

バシル前政権と関係が深かったサウジアラビアアラブ首長国連邦は21日、食料品や石油製品を含む30億ドル(約3350億円)相当の支援を表明。スーダン軍が、サウジ主導のイエメンでの戦闘に参加していることを考慮したとみられる。

 

2013年にエジプト軍を動かして当時の政権を崩壊させた同国のシーシ大統領も、スーダンの治安悪化などに懸念を表明し、軍を支える姿勢を見せた。

 

中東・アフリカでは10年以降の民主化運動アラブの春」で、チュニジアエジプト、リビア、イエメンで長期政権が崩壊した。近年も、ジンバブエやアルジェリアで強権支配を敷いた大統領が民衆デモなどを受けて辞任した。

 

アフリカにはウガンダやカメルーン赤道ギニアなど、数十年にわたる長期政権を敷く国々がある。アフリカ連合は当初、スーダン軍主導の暫定政権を批判したが、民政移管を求める時期を「4月末」から「3カ月以内」に延ばすなど、軍側に譲歩し始めた。スーダンの新政権への影響力を維持したい思惑も透ける。【5月7日 朝日】

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【前面に立つ女性たち】

意外だったことの一つは、上記の市民によるコントロールが(今のところ)徹底していることですが、もう一つは、女性の参加が目立つことです。

 

(スーダンの首都ハルツームの軍本部前で4月24日、自由や民主化を求めて集まった女性たち=中野智明氏撮影【5月10日 GLOBE+】)

 

スーダンはイスラム国家ですから、社会的・宗教的に制約が多い女性が前面に出てくるというのは意外でした。

 

“特に女性たちは強権的な前政権から長く抑圧されてきた。紛争で夫や子を失った人も多く、今回の政変で民主化や平等の実現を期待する思いはとりわけ強い。”【4月30日 朝日】

 

存在感を示す女性に中にあって、市民革命の象徴ともなった一人の女子大生(冒頭写真)が。

 

“22歳の女子大生、アラ・サラーさんが抗議する様子の動画がインターネットで広く拡散した。

白い服に身を包んだサラーさんは「革命の象徴」、さらには「ヌビアの女王」と呼ばれるようになった(ヌビアは、エジプト南部からスーダン北部にかけてのナイル川流域の地名)。“【4月24日 BBC】

 

****スーダン「市民革命」の象徴は22歳女子大生アラ・サッラー****

スーダン「市民革命」のアイコン
2019年4月8日、スーダン共和国の首都ハルツームで撮られ、ツイッターにアップされたある写真が世界中で注目されている。

白いトーブに身を包み、金色の大きな耳飾りをつけた若い女性が、乗用車のルーフパネル上に立ち、右手を挙げ、人差し指で天を指している。

この女性の名はアラ・サッラー、ハルツームで建築学を学ぶ22歳の大学生だ。

彼女をスマホのカメラで撮りアップしたのも、ラナ・H・ハロウンという地元の若い女性だ。

ハロウンがアップしたこの写真によって、サッラーは一夜にして反軍事独裁政権運動のアイコンになった。デモは2018年12月よりパンの値上げをきっかけにスーダン全土で始まり、2019年4月に入ってから激化していた。

イスラエルメディア「ハアレツ」によれば、アラ・サッラーは車上で、「われらの祖父はタハルカ、われらの祖母はカンダカ」と歌っている。タハルカはクシュ王朝の王、カンダカは古代ヌビア・スーダンの女王で、より一般的には女王戦士たちのことだという。

サッラーはすでに「現代のカンダカ」と称され、スーダン市民の権利のために闘う女性、またアラブ・ムスリム世界で女性の権利のために闘う女性たちが見習うべき模範と見なされているとハアレツは報じている。

英メディア「ガーディアン」の取材に、サッラーは次のように答えている。

「私の写真で、世界中の人々にスーダンの革命について知ってもらえたことがとても嬉しいです……抗議運動の始まり以来毎日出かけ、デモに参加してきました。祖国を愛するようにと両親が私を育ててくれたからです」

サッラーの母親は、スーダンの伝統衣装トーブのデザイナーで、父親は建設会社を経営しているとガーディアンは報じている。

トーブは、女性抗議者たちのシンボルになっており、サッラーも以前のデモでトーブをまとったときに逮捕されかけたという。

「トーブはある種の力を帯びており、カンダカたちを想起させます」とサッラーはガーディアンに語っている。

ただ、カンダカは、スーダンの多くの民族・部族のひとつを代表するのに過ぎず、ほかの共同体を排除することになりかねないとの懸念もあるとガーディアンは報じている。【4月18日 クーリエ・ジャポン】

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4月8日というと、まだ強権で知られるバシル大統領がその職にあった時期で、辞任はその三日後です。

 

そういう時期に反政府デモの先頭に立つということは、当然に大きな危険があります。

 

そのことについて聞かれたサッラーさんは、「あらゆる可能性は認識していましたが、怖くはありませんでした。銃殺されたり、腕や目をけがしていたかもしれません。何があってもおかしくなかった。誰もが尊厳と名誉とともに暮らせるより良いスーダンを思い描いたからこそ、この抗議に参加したのです。」と答えています。【4月24日 BBCより】

 

大きなうねりは、彼女のようなヒロイン、ヒーローを生み出します。

 

「ヌビアの女王」「現代のカンダカ」はともかく、多くの女性が男性に伍してデモに参加し、フェンスをよじ登る姿に、民主化成就後の女性の権利拡大実現を期待もするのですが・・・どうでしょうか。

 

そもそも、民主化が成就するのか、バシル大統領から軍政に変わっただけに終わるのか・・・そのあたりも未だ判然としませんが、前出の周辺国の思惑などもあって、個人的にはあまり楽観はしていません。


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