
(「1MDB」疑惑で抗議集会を行う人権活動家マリア・チンアブドラ氏(中央女性) 今後、更に抗議活動を展開していく計画を発表しています。【8月3日 ロイター】)
【ナジブ首相への資金還流疑惑も それでも盤石なナジブ体制】
マレーシア・ナジブ首相が代表を務めていた政府系投資会社「1MDB」(ワン・マレーシア・デベロップメント)を舞台にした巨額汚職疑惑については、これまでも何回か取り上げてきました。
2016年3月14日ブログ「マレーシア 汚職疑惑のナジブ首相 マハティール元首相との権力闘争も 批判報道規制を強める」http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20160314
2015年9月17日ブログ「マレーシア 汚職疑惑の首相へ高まる批判 民族間の対立に飛び火する不安も」http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20150917
2015年7月8日ブログ「マレーシア 与党は首相の汚職疑惑、野党は共闘崩壊 それぞれに困難に直面」http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20150708
2015年5月1日ブログ「マレーシアで進む宗教保守化と強権支配」http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20150501
“1MDBは、2009年にナジブ首相が主導して創設された投資会社であり、創設以来、同首相自身が顧問会議のトップとして経営に関与していた。マレーシアを先進国入りさせるプロジェクトの一環として期待されたこの投資会社は、14年3月末時点で約420億リンギットに上る巨額(GDPの3.9%、国家予算の16%に相当する金額)の負債を抱え込む状況に陥った。さらに、不正経理の疑惑も指摘されている。”【6月1日 石井順也氏 「苦境を乗り切るマレーシア・ナジブ首相のしたたかな統治術」 読売】
疑惑は、巨額負債のほか、マネーロンダリング、首相親族の関与、更には首相自身への資金還流など多岐にわたっています。
そのひとつが、「1MDB」関連会社を通じ、ナジブ首相の個人口座に約7億ドル(約800億円)の不透明な資金が振り込まれた・・・というものです。
政府批判の中核となるべき野党連合が、取りまとめ役のアンワル・イブラヒム元副首相が同性愛問題という政治的策略とも思われるような形で政治生命を断たれたことで崩壊した一方で、与党側の中核にあったマハティール元首相がナジブ首相批判の先頭に立つ形で、両者の権力闘争的な側面も見せていました。
野党勢力、マハティール元首相などの批判に対してナジブ首相側は、“潅流”したとされる資金はサウジアラビアの王族が寄付したものであり、「汚職」ではないという調査報告で幕引きを行っています。
****苦境を乗り切るマレーシア・ナジブ首相のしたたかな統治術*****
・・・・こうした中で、法務長官は16年1月、「ナジブ首相に対する送金は、サウジアラビアの王族からの個人的な献金であって1MDBからのものではなく、犯罪性は認められない」として捜査の終了を宣言した。
同年4月にはサウジアラビアの外相も個人的な献金である旨説明した。
本件について調査を行っていた公的会計委員会も、最終報告書において、1MDBのガバナンスの問題を指摘しながらも、犯罪性はないとの見方を示した。同年5月にはマレーシア中央銀行も同様に捜査の終了を宣言した。
公的会計委員会の最終報告書の提言に従い、1MDBの経営陣は辞任し、顧問会議は解散するに至った。議長であるナジブ首相も退任した。
1MDBの主要資産は財務省が管轄する投資会社に移管され、1MDBは今後、資産売却や債務返済など限定された業務にあたることになった。
こうしてマレーシア国内においては、捜査やナジブ首相の責任追及は終了し、1MDBも実質的に解体が進められ、問題の幕引きが図られた。(後略)【同上】
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上記記事において石井順也氏は、多くの批判の集中砲火を浴びながらもナジブ首相の政治基盤が揺るがない要因として、ナジブ首相側の強引とも言える反対勢力排除が奏功したこと、野党連合が崩壊するなど足並みが乱れたこと、マハティール元首相に対する拒否感が野党側に強く、その連携が進まないこと、マレー系住民を取り込むナジブ首相の政治的対応が奏功していることなどをあげています。
【アメリカ司法省提訴で問題再燃 ナジブ首相「自身は直接は無関係」】
こうして「一件落着」というか、“うやむや”というか、とにかく事件に幕引きがなされた形でしたが、石井順也氏も“盤石とみられるナジブ政権であるが、いくつかの不安材料がある”として、いくつか指摘されていました。
そのひとつが、「1MDB」事件は海外でも捜査が行われており、“今後、何らかの違法行為を示す証拠が発見される可能性も否定できない。そうなれば、国内では収束していた問題が再び息を吹き返す可能性がある”ということでした。
実際、火の手はアメリカからあがりました。
****米、10億ドル差し押さえ提訴 マレーシア資金流用疑惑****
米司法省は20日、マレーシアのナジブ首相が主導して設立した政府系ファンド「1MDB」から資金が不正に流用された疑いがあるとして、米国にある不動産や美術品など総額10億ドル(約1070億円)の資産の差し押さえを求める訴訟を起こしたと発表した。
司法省によると、この疑惑にはマレーシアの政府当局者らが関与し、1MDBから35億ドルあまりが不正に流用されたとみている。司法省はナジブ氏の義理の息子らの名前も、この疑惑の「関係者」として挙げた。
リンチ司法長官は20日の記者会見で「腐敗した政府当局者が公的ファンドを個人の銀行口座のように使っていた」と指摘。これに対し、1MDBは21日、「1MDBは米国に資産を持っていない」などとする声明を発表した。
1MDBをめぐってはナジブ氏の資金流用疑惑も浮上。本人は流用を否定しているが、米国のほか、スイスやシンガポールなどの捜査当局も汚職や資金洗浄の疑いで1MDB関連の資金の流れを調べている。【7月21日 朝日】
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差し押さえの対象にはディカプリオ主演の映画『ウルフ・オブ・ウォールストリート(The Wolf of Wall Street)』の関連権利の他に、ビバリーヒルズの高級不動産、ニューヨークのタイム・ワーナー・センターのペントハウス、ロンドンのベルグラビア地区の物件など20近くの資産が含まれています。
スイスやシンガポールの当局も関連口座の凍結に踏み切っており、シンガポール当局は21日、「1MDB」に絡む不正と資金洗浄の疑いでナジブ首相の義理の息子に近い知人が所有する不動産などを差し押さえたと発表しています。
アメリカ司法省の提訴について、ホワイトハウスはマレーシア政府に“透明性向上”を求めています。
****マレーシア政府は透明性向上を=資金流用疑惑でホワイトハウス****
マレーシアの政府系投資会社ワン・マレーシア・デベロップメント(1MDB)をめぐる資金流用疑惑で、ホワイトハウスは21日、マレーシア政府は良好なガバナンスと透明なビジネス環境を重視していることを示す必要があるとの見方を示した。アーネスト報道官が会見で述べた。
米司法省は20日、1MDBから資金が不正に流用されたと主張し、10億ドル以上の関連資産の差し押さえを求めて提訴した。
ホワイトハウスのアーネスト報道官は「マレーシアで事業を検討している企業は、ビジネス環境が良好であることを示すサインを探すことだろう」と述べた上で、マレーシア政府は「透明性や良好なガバナンスにコミットしていることを明確に示すべきだ」と語った。【7月22日 ロイター】
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石井順也氏が【6月1日 読売】でも指摘していたように、アメリカとマレーシア政府は極めて良好な関係にあると見られていましたので、アメリカがこのようにナジブ政権に対し強い姿勢を見せたことは意外でした。
****卓越した全方位外交****
・・・・このようなナジブ首相のしたたかな政治手腕は、外交においても遺憾なく発揮されている。
現在のマレーシアは、関係国すべてと良好な関係を築く全方位外交を展開している。その中でも最も重視する国は米国と中国である。
マレーシアと米国の関係は、かつてない程に良好な状況にある。ナジブ政権は環太平洋パートナーシップ(TPP)に参加し、重要な貿易国・投資国である米国との関係を一層強化しようとしている。
マレーシアには反体制派の抑圧、ロヒンギャへの対応をめぐる人権問題が存在するが、オバマ大統領はナジブ政権の外交姿勢を評価し、親交を深め、14年には現職大統領として48年ぶりにマレーシアを訪問した。
15年版の国務省の人身売買報告書は、ロヒンギャ族の人身売買問題が深刻視されていたにもかかわらず、マレーシアの評価を14年度の最低ランクから引き上げた。
背景には、人身売買報告書で最低ランクに分類された国と交渉を行うことを米貿易促進権限法が禁じているという事情があったとみられる。すなわち、米国としては、マレーシアとの間でTPP交渉を進めるためマレーシアのランクを引き上げる必要があった。
このような米国とマレーシアとの間にある強い信頼関係は、かつてマハティール政権が強固な反米政策を採った時代と比べると隔世の感がある。(後略)【6月1日 石井順也氏 読売】
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アメリカとしては、これまでの政治的関係と不正資金の問題は別物ということでしょうか。
ナジブ首相は「自身は直接は無関係」だと主張しています。
****1MDBの資金流用訴訟、マレーシア首相が「直接は無関係」と主張****
マレーシアの政府系ファンドの資金不正流用をめぐり米司法省が訴訟を起こしたことについて、マレーシアのナジブ首相は5日、自身は直接は無関係だと主張した。
同省は7月、政府系ファンドであるワン・マレーシア・デベロップメント(1MDB)の資金でナジブ首相の「関係者」が不正に取得したとする関連資産10億ドルに対し、差し押さえを求める民事訴訟を起こしていた。
これに関してナジブ首相は、テレビ局で「司法省が最近起こした訴訟に、私は直接含まれていないし、マレーシア政府も1MDBもそうだ」と主張。「訴訟は5人の人物に対するものだ」と述べた。
さらに首相は、訴訟はビジネス上の問題であるにもかかわらず、「特定の敵対者」により政治問題化されていると話した。【8月5日 ロイター】
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水面下では、アメリカ司法省が1MDBからの資金の受け取り手の一人と指摘した「マレーシア政府関係者」がナジブ首相だとする見方が出ています。ただ、さすがにアメリカ側も友好国トップの名指しまでは踏み込んでいません。
ナジブ首相の「無関係」という言い分は、限りなく疑わしく思えますが、前出のようにナジブ首相の政治危基盤は盤石とも言える状況ですから、弱体化した野党勢力やかつての威光を失ったマハティール元首相がこれ以上ナジブ首相を追い詰めるのは難しいようにも思えます。
そういう意味で、策略だろうが政治的陰謀だろうが、とにかくアンワル氏さえ潰せば“水と油”の寄せ集めの野党連合は崩れるとしたナジブ首相側の対応は実に効果的だったとも言えます。
【マレー系・イスラム重視で複合民族国家の統一性が損なわれる危険も】
ただ、政治的求心力を維持するためにマレー系住民重視の姿勢を強めたことで、これまでまがりなりにも複合民族国家としての統一性を維持してマレーシアの安定性が損なわれる危険性もあります。
****それでもぬぐえないマレーシア政治の不安材料*****
第三に、マレー系の優遇、イスラム教の重視が国民の分断を招くおそれがあることである。
イスラム国家の側面を強調することは、非マレー系の疎外感を生むおそれがある。イスラム主義の傾向は、保守的なイスラム政党であるPASが前述のとおり与党連合に参加したことで、一層強まる可能性がある。
16年5月26日にはPASの党首が連邦議会下院にイスラム刑法導入に向けた議員立法法案を提出、与党連合の中でも華人系政党とインド人系政党から猛烈な反発を招いた。
また、中東との協力強化に資する反面、反米感情を高めることになれば、ナジブ首相が進める米国との連携強化と両立しなくなる可能性もある。
さらに、中国は海外の華人や華僑を積極的に取り込む政策を採っており、15年9月には、駐マレーシア中国大使がチャイナタウンを訪れ、華人に対して、「中国はあらゆる人種差別に反対する」、「華人の権利の侵害は中国にとって許容できるものではない」と発言し、マレーシア外務省が同大使を呼び出して釈明を求めるという事件があった。
ナジブ政権がブミプトラ政策を強化し、またイスラム的価値観を強調することで、非マレー系の不満が高まり、中国の華人に対する影響力も一層拡大する可能性がある。【6月1日 石井順也氏 読売】
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マレーシアは2018年に総選挙が予定されています。
前回2013年の総選挙では与党連合は過半数の議席を維持したものの、野党連合を束ねたアンワル氏の働きなどもあって、得票率の上では野党連合が与党連合を上回るところとなりました。
アンワル氏は同性愛事件で5年間収監されることになっていますので、2018年はまだ塀の中です。
今後ともナジブ体制が維持されるのか、「1MDB」問題などを足掛かりに野党勢力の巻き返しを図れるのか・・・・注目されるところです。